STEPを知り、長い時間をかけて学び続けていると、ふと思うんです。


「あぁ、この世界はたーーーくさんの人々の、たーーーくさんの価値観で作られているんだなぁ。」ってことを。


STEPを学ぶ前のわたしは、世界を『わたしの価値観』で色づけられたフィルターを通して見ていました。


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たとえば子育てのことで言えば、

・一度決めたことは最後までやり抜かなくてはダメ。

という価値観をもっていた私は、途中で方向転換(つまり、始めたことをやめること)しようとする娘に対して説教したりしていました。


「我慢してでも最後までやれるようにならないと大人になってから困るよ!」とか、

「途中でやめるんだったら最初から『やりたい』って言わない!」などといった具合に…です。



わたしの価値観を通して、娘の言動の良し悪しを『評価』していたわけです。

わたしが『良い』と思ってることを娘がやらないと、なんだかすごく嫌な気持ちになりました。

そうすると今度はそれを怒りに変換して、娘に怒ったりしてね。

いつもいつも、わたしの価値観にそって娘を諭し、指示や命令を与えていたように思います。



いま思い返せばそれは、娘のことをわたしと同じ価値観をもつ人間に仕立て上げようとしていたのと同じことです。

娘は娘です。彼女がどのような価値観を自分のなかにもって生きていくのかは、彼女が自分で決めることです。

なのにわたしは、そこを完全に無視して子育てをしていたのですね。



生活をしていると、自分の価値観を子どもに押し付けていないかな?と振り返るチャンスはたくさんあります。


子どもは○時までには寝ないと!
・宿題は帰宅したらすぐにやったほうがいい!
・お風呂は毎日入らないと汚い!
・学校の制服のままで朝まで寝るなんておかしい!
・ご飯は残さず食べないともったいない!
・人に会ったらハキハキと挨拶する!
・休みの日に一日パジャマで過ごすのはダメ!
・親に口ごたえするとは言語道断!



たとえば上にあげたようなものは、あくまで『わたしの価値観』。

その価値観を子どもに押しつけてしまう前に、いったん立ち止まってひとつひとつ自分に問いかけるんです。

「それは誰の価値観?」って。

そして、さらに自分にこう話しかけます。

「わたしの価値観とあの子の価値観が揃ってなくても大丈夫だよ。お互いの価値観がそれぞれに尊いね。」って。



娘が中学一年生になりたての頃、娘がね、制服のままで朝まで寝ちゃうことがあってね。

それ、わたし、見ててすごーくイヤだったんです。  

制服がしわくちゃになるのもイヤだし、パジャマに着替えてから寝ないと本人の疲れもとれないんじゃないかなー?って心配な気持ちもあって。


でも、わたし、そのことで娘には意見を言ったり、着替えなさいと指示したりはしないと決めてみたんです。

わたしがそれを指摘すれば、たぶんお互いにイライラしたり不機嫌になったりして、楽しくなくなるだろうなって思ったから。
 
制服のまま寝るのはイヤ!っていうのは、あくまでもわたしの価値観だもの。それを娘に押しつける必要はないんだって思ったんですよね。 



わたしの考えは正しい…って、心のどこかで思ってる自分に常に問いかけ、話しかけます。

「それ、誰の価値観?」
「相手と価値観が同じじゃなくても大丈夫だよ。」



高校生になった娘。いまでは家に帰ってくるとすぐに部屋着に着替えて、制服はハンガーにキレイにかけています。

制服のままご飯食べて、そのままお風呂にも入らずベッドに入って寝ちゃってたあの頃が懐かしい(笑)


親が口うるさく言わなくても、子どもは自分に必要なことは自然と体得していきます。

もしわたしがあそこで「制服のままでベッドに入らないで!」と口うるさく言っていたら…きっと娘は反発を示したと思います。


親は自分の価値観を押しつけていないかな?という振り返りをしつつ、子どもに任せよう!という姿勢でのんびりと見守っていけたらいいですよね。


STEPリーダー
かたおかゆうこ