昨晩、娘(高1)とテレビを見ながら話していました。

そこでわたしが冗談ぽく、こう言いました。

「あと10年後くらいに孫の顔が見られたりするのかなぁ?」

すると娘が言うのです。

「子どもは産まない人生を選ぶかも。いい親になれる自信がない。」と。



あら。そーなの?

と思い、話を引き続き聴いてみると、こんなことを言い出しました。

「だって、いい親に育てられたことがないから、どうしたらいい親になれるのかわかんない。お手本がいないから。」と。


3436123_s


んーーー。
まあーーー、それなりにちょびっとは、ショックでした。

しかし、あの子が小さいときにわたしは手を上げていた母親ですし、今の夫との再婚にも娘は両手をあげて賛成していたわけではないので。当然といえば当然です。



でもわたしは、こんなことを思いながら娘の話を聴いていました。

あぁ、この子が、

『あなたはわたしにとって素晴らしい親ではない』

という思いを、直接ぶつけてもらえる自分で在ることが良かったな、と。



それを直接わたしに言えるあの子で良かったな、と。



まあ、本音はね、

「ママの子どもで良かった♡」

って笑顔で言ってもらえるならもっと嬉しいけどね。笑



まだまだわたしの子育ては、道の途中。

娘が高校生になっても、あと何年かで大人になっても、きっとずっと、わたしの子育ては道の途中。



ただ受けとめる。
ただ寄り添う。


吐き出させてあげる。
受けとめていく。



いい親になろうなんて思わないし、このわたしが、いい親になんてなれるはずがないしね。



わたしはわたしで、あの子はあの子。

わたしは、あの子の思っている理想の親じゃあないかもしれない。

でも、それでいい。



わたしがあの子に親としてできることは、ありのままのあの子を受けとめること。

ありのままのあの子を受けとめるということは、まずはありのままの自分を受けとめること。

そしてわたしは、自分の人生に責任をもって生きている背中をあの子に見せられる自分で在りたい。

わたしにできることは、それくらいです。



あの子の感じたこと。たとえば、親が再婚したことが嫌だなって感情とか、親に暴力されていたことが悲しかったって感情とか。

あの子の考えてること。たとえば、わたしのような親にはなりたくないから子どもは産みたくないっていう考えとか。

それ、ぜんぶありのままでいい。
わたしはそのまま受けとめたいんだ。



肯定も否定もしないし、良いも悪いもない。

そして、それによってわたしは傷つかない。

だってわたしの役目は、『子どもから非難されて怒ったり傷ついたりする親』じゃなくて『子どもが親を非難したい気持ちをそのまま受けとめる親』なんだと、自分で決めてるから大丈夫。



娘には幸せに生きてほしい。
自分を大好きだと感じる人生を生きてほしい。



わたしは今この瞬間に、あの子の幸せのためにわたしにできることをする。



その答えはシンプル。
あの子のありのままを受けとめる。

ほんとうにそれだけなのだと、改めてしみじみ思うのです。



かたおかゆうこ