子育てをすることの『目標』。それは言わずと知れたことですが、もちろん『子どもの自立』です。

子育てについて腰をすえて学ぶようになる前のわたしは、『子どもの自立』というものをこんなふうに捉えていました。

・経済的に他人に頼らずに自活できること

ある意味では、それがすべてだと思っていたと言っても過言ではないです。

無意識ではあったと思うけれど、そこがひとつの指針となってわたしの子育てを作っていたと思います。


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しかしその後、やがて娘は不登校になります。小学校6年間のうちの、実に4年間という長い歳月を学校に行かずに家で過ごしました。

それをきっかけにわたしは、STEP勇気づけセミナーに出会い、親としての自分の在り方について深く考えるようになります。



何年もかけて、自分と娘のことについて考え、学んだことを実践してきました。そしていまは、『子どもの自立』ということについては、以前とは全く違う考えを自分のなかにしっかりと持てています。



いまのわたしが考える『子どもの自立』とは、

子どもがありのままの自分でたのしく生きること。

だと思っています。わたしの子育てはそこを目指しています。



たとえば、いわゆる”障害”のある人は経済的に(また、物理的にも)他人に頼らずひとりでなんでもまかなう…ということは難しいケースが多いと思います。(わたし自身と娘も、”障害”と呼ばれる特徴のある人間なので、それはよくわかります)

経済的な自立が子育ての目標である『子どもの自立』とイコールであるとしたら、”障害”のある子は自立が見込めない、という答えしか、その親は見出すことができません。



でも、『自立』はすべてのひとが等しく手に入れられると、わたしは思っています。

人生における『自立』…つまり『ありのままの自分でたのしく生きること』と、経済的に自立していることはイコールではないと考えています。



たとえ経済的に自立が難しくても、その子が自分のことを大好きで、自分のありのままを発揮してたのしく生きていたら、その子の周りにはその子に協力してくれる温かい人々がたくさん集まってきてくれると思うんです。

その子の魅力や素晴らしさを知る人が、その子と”協力して歩んでいきたい”って思って動き出します。

人と協力して生きていくこと…それは立派な『自立』のひとつです。



子どもができないことやしたくないことを、無理やりにできるように育てる必要はなくて、「これ、僕は苦手なので手伝ってくれませんか?」と周囲の人に協力をお願いできる勇気を育ててあげることのほうが、よほど大切だとわたしは思います。

そしてその勇気をもてるのは、その子が自分のことを大好きで、自分はみんなから愛される価値のある人間だと感じられていてこそだと思います。


だから親は、まったくもって無条件に子どもを愛してあげたい。なんの条件も必要なく、あなたはそこにいるだけで愛されるべき人なのだと日々の暮らしの中で感じさせてあげたい。

それを受け取った子どもは、強くたくましく生きられると思うし、自分のことが大好きになる。たのしく明るく温かい人生を必ず歩んでいくことでしょう。



ありのままに無理なく、たのしく生きる。
ありのままの自分で、周りと協力して生きる。




なにかが『できる』人がえらくて、『できない』人はダメ、というのは幻想だと感じます。だって、『できない』人が存在するから、『できる』人がそこに存在しうるんです。つまりフィフティーフィフティーです。どっちが優位とかいうことは絶対にない。



どっちも、等しく素晴らしい存在である。
そこにあるのは、ただそれだけです。



目の前の子を「この子はこのままではダメだ。」と思っていませんか?
目の前の子に「この子は何が足りない?」と何かを足そうとしていませんか?



その子自身は、なにも足りなくないんですよ。なにもダメじゃない。完璧です。ほかの人とその尊厳はなにも変わらない。ダメじゃない。みんなにとって大切で温かくて満たされている完璧な存在です。



社会を生き抜く力を具体的にトレーニングすることは確かに必要なことです。その取り組みも大切になってくると思っています。

でもその前に…子育ての目標をいったん振り返ってみませんか。その子のありのままを感じて、噛みしめて、味わってみませんか。



その子はどうしてこの世に生を受けたと思いますか。
彼、彼女が、ありのままの自分でたのしく生きるため…だとわたしは信じています。



STEPリーダー
かたおかゆうこ